ロシアの歌をロシア語で歌うコンサート
松本城近くの紫陽花へ母と一緒に♪




マトリョーシカは好きだけど、ロシア語、わかんないし・・
英語だって・・いやいや日本語だってままならないってのにいわんやおやでしょ
でも、一曲ごとの丁寧な解説を聞いてるうちにここはロシア?
あたしはミーシャ??

ターニャ???

みたいな気持ちになってくるからアラ不思議

窓の外を見ると凍てついた道路がてらてらと弱々しい午後の光に輝いています。
と、みるみるうちに空が暗くなり
大きな雪の塊が空から落ちてきました。
あっというまに一面の雪景色
除雪車がさかんに稼働しはじめました。
十数分毎に雪をかいていきます。
道路はまたたくまに綺麗になりその雪塊は近くの大きな川に投げ込まれます。
私はセントラルヒーティングでぽかぽかのアパートに住んでいて
こけし人形に顔を描き鮮やかに色つけをしています。
背後のラジオから懐かしいロシア民謡が・・・カリンカカリンカ カリンカマヤ~♪
運良くメンバーの長井康平さんの奥さま

と同席になり
特派員時代のロシアでの生活の様子をお聞きしましたので
↑の「うづまきinロシア」はその時のお話を元に想像いたしましたの

と、ここまでは楽しいお話↑
このコンサートの最後、皆で一緒に日本語で歌いましょう♪
ということで灯(ともしび)を歌った時のこと
母がこの歌は知らないっていうんです。

イヤァ・・・絶句っ!正直びっくりしました。
だって、物心つく前から母が歌っててそれで私はこの歌を覚えたんですもん。
そう言えばこの会場に来る途中、私の同級生の家の前を通ったので
私「I君の家、なくなっちゃったね。元気かなぁ・・、実家の洋服屋さんは継がなかったのかしら?」
母「誰その人?私、まったく覚えてないわ・・・」
嫁いで親元を離れ三十数年
知らないうちに母は今の自分にとって必要でない記憶とさよならしたみたい
私もそうだけど、こどもが小さいうちはこどもの友達=自分にとっても大切な存在
どんな小さなことでも母親として子どもの交友関係はだいじであったはず
でも、今となってはもうそういう記憶はいらないですもんね
歌もそう。
あんなに元気よくって人一倍声を張り上げて歌ってた母の声が隣から聞こえてこない
このような変化を目の当たりにするのは辛いけどでもこれが現実
いずれは自分もこうなる
順繰りですね。
パン教室でお世話になってる美代子先生が
以前、教えてくれた詩です。
印刷物をいただいたのでよく開いては読みます。
歌(樋口了一さん)はYou Tubeでも聞けます。
手紙~親愛なる子供たちへ~
(作詞) 不詳
(訳詞) 角 智織
(日本語補詞) 樋口 了一
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消えて去って行くように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ